その日、一番に会社へ来たのは勿論《いたずら師》であった。
その背景には《知識師》達の血と汗と涙の結晶が累々と横たわっているのは言うまでも無い(だいぶ、大げさ)。
具体的に言うと会社へ早く着きそうな時は、一階にあるコンビニで《いたずら師》がビルへ入るのを待ち、きっかり五分数えてから六十五階へ向かうのである。
この様に皆の弛まない努力の果てにいたずら、つまり朝一番の仕事が支えられているとは露程も知らない《いたずら師》であったが、この事は極秘事項として闇に葬られ彼がその事実を知る事は生涯無いであろう。
《知識師》達が連れ立つようにして部屋へ入って行くと、案の定自分たちの椅子に《いたずら師》の丁寧な仕事が為されているのが見て取れた。
「やられたー」
「やられましたね」
「全く油断も隙も無いな」
不自然に聞こえない様に気を付けて発言しながら、三人は各自椅子を元の状態に戻し着席した。
「これ、ボクの田舎から送って来たの、ミンナで食べてよ」
気が付くといつの間にか社長が部屋の中に入って来ており、《装飾師》の机の上に切り分けられたリンゴの入った籠をそっと置いた。
「有難う御座います」
「頂きます」
満足そうな表情を浮かべた社長は旋風の様にくるくると回りながら軽い足取りで部屋を出て行った。
「・・・・・・今の誰です?」
「社長だよ!」
《いたずら師》の素っ頓狂な質問に、普段温厚な《知識師》が声を張り上げた。
「そう言えば、前に一度見た事が有る様な、・・・無い様な・・・」
これには《装飾師》も驚いたらしく、
「社長の顔を憶えて無いんですか?」
と言外に非難の意を込めて言った。
《傍観者》だけは何も言わず、(たぶん、次に社長が顔を出した時も、今の誰?って聞くな)と心中密かに思い、にやにやしていた。
「ところで社長はこの上に住んで居るって言う噂、聞いたことありますか?」
「えっ?この上には役員専用の秘密倶楽部があるんじゃ・・・」
突然投げ掛けられた《知識師》の問いに《装飾師》が自信なさげに言い淀む。
普段《知識師》や《装飾師》達が居るこの部屋は最上階であり、エレベーターの階数表示も65までしか無い。
しかし、エレベーターホールの横には小さなドアが付いており、それを開けると狭い階段が頭上へと伸びていた。
「ただ屋上があるだけじゃないっすか」
のほほんと答えた《いたずら師》に、《知識師》がきっぱりとこう返した。
「いや、違うと思うな。曾爺さんに聞いても頑として口を割らないし。きっと何らかの重要な秘密事項があるのかも・・・」
「ちょっと見に行きましょうか」
《装飾師》の提案に皆飛び付いた。
エレベーターホールの横の小さなドアを開けて雁首揃えて階段を見上げてみた。
「・・・なんか急に足が動かなくなったような気が・・・」
「そうですね、独特の雰囲気が有りますね」
誰も足を踏み出そうとしない階段には見えない結界が張られている様で、結局四人はすごすごと部屋へ引き返した。
その後、午前中の仕事の合間を縫って色々な疑問が投げ掛けられたが、満足な回答が出されぬまま立ち消えて行った。
曰く、「社長と1階のコンビニの店長がそっくりなのは何故か?」
曰く、「社長がボクと言うと何故カタカナのボクに聞こえるのか?」
曰く、「六十五階にある自転車は誰の物なのか?」
お昼になり四代目大臣でそれぞれ定番のお弁当を買って会社へ戻ると、各自の机の上に見慣れないお菓子がちょこなんと置いてあった。
「誰だろう?」
「部長ですかね」
だが部長に聞いてみると「私じゃありませんよ」という言葉が返って来た。
その時である。
やおら立ち上がった《傍観者》が辺りを見回しながら、こう叫んだ。
「紫のバラのひと!」
「?」
「誰ですか?それは」
周りの声が耳に入って来ないのか、《傍観者》は虚ろな眼差しのまま立ち尽くしたままであった。
「《傍観者》って時々訳の分からない事を言いますよね」
「そう言えばそうですね」
そんな言葉も《傍観者》の頭の中を素通りして風となって消えて行った。
渋の谷に立ち並ぶ高層ビルや地上を歩く人々の影が長く伸び始めた頃、今日の業務が終了となった。
《知識師》にとっては次に何の資格を取るか混迷の時期であり、今日も居残りはしないで家に帰る事にした模様である。
「お疲れっす」
「お疲れ様です」
まだ少しぼんやりしていた《傍観者》は、挨拶を返すのも忘れて立ち尽くしていたが、誰も居なくなったのに気付くと、とぼとぼと歩き出した。
頭の中に紫のバラの花束が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた《傍観者》が忘れずにヒゲを付け替えたかどうかは、ここでは敢えて触れない事にしよう。
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