小さな川のさらさらと流れる音の他は、何処からか聞こえる微かな虫の声しか聞こえない。
そんないつもと同じ周りの音色に囲まれ《傍観者》は眼を覚ますと、その黒い体を丸めたまま考え事を始めた。
(色々な処へ出掛けろ、か・・・)
小さな欠伸を一つ。
(でも、何処へ行けば良いのかな)
小さな伸びを一つ。
(困った時は・・・)
小さな箱から外へ出て来た《傍観者》は、
「《知識師》だ!」
と最後だけ声にしてその口から発した。
立派なドアを開けて中へ入って行った《傍観者》を、頭の上に手拭いを乗っけた《知識師》が出迎えた。
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは、お風呂に入っていたの?」
「いや、こうすると落ち着いて思索出来るんだ」
ふーん、と言いながら《傍観者》は《いたずら師》に言われた事を《知識師》に話して聞かせ、
「何処へ行ったら良いかな」
と尋ねた。
「そうだな・・・」
分厚く古めかしい装丁の1冊の本を取り出し頁を捲りながら考え込んでいた《知識師》は、やおら《傍観者》の尖った耳に眼を止めた。
そして次に長く伸びた尻尾に視線を移すと、
「ネズミータウンはどうかな?」
と、ぼそっと言った。
「ネズミタウン?」
《傍観者》の眼がギラッと輝きを放った。
「ネズミータウンだよ。本物のネズミは居ないけど黒くて丸いネズミの耳を付けた人がたくさん居るよ」
本物のネズミは居ないと聞いて少しがっかりした《傍観者》だったが、ネズミの格好をした人々というのを見てみたいと思い直し、
「じゃあ、そこへ行ってみようかな」
と答えたが、ふと見やると《知識師》の両瞼は半分以上閉じられていたので、
「一人で行って来るね」
とそっと呟いた。
すやすやと寝付いてしまった《知識師》を残し、《傍観者》はネズミータウンへと進路を定めた。
良く手入れされた草原の真ん中にネズミータウンと掲げられたゲートが見えて来ると、《傍観者》は知らず小走りになっていた。
息せき切ってゲートの下を潜り抜けるとそこには黒くて丸いネズミの耳を付けた人々、特に女の子が多く見受けられた。
「うわー、《知識師》の言った通りだ」
ネズミの耳を付けた女の子たちは談笑していたり、ちょこまかと走り回ったりとても楽しそうだった。
ふらふらと熱に浮かされた様に歩を進めた《傍観者》は、
「あっ、こんな処にも!」
と小さく叫んだ。
広場の中央にある噴水の縁がネズミの形に模して造られていた。
「あっちにも、こっちにも」
さらに道に描かれている模様や、マンホールの蓋、芝生の形状やベンチの形、はたまた煙突から立ち昇る煙までネズミの姿を象っていた。
きょろきょろと右に左に顔を巡らしていた《傍観者》は隅っこの小さなお店を見付けると傍まで行ってみた。
(なるほど、此処でネズミの耳を売ってるんだ)
《傍観者》ほ自分の三角に尖った耳を気に行っているので、勿論ネズミの耳は買わなかった。
それにしてもこう周り中ネズミだらけだと、むずむずする爪の先を必死に抑えながら《傍観者》は自分に言い聞かせた。
(あれは人間、これも人間、それはマンホールの蓋・・・)
終いには少し混乱を来していたかもしれない。
(ネズミが一匹、ネズミが二匹・・・違う、良く見たら煙突の煙だし・・・)
ややもすればそれらに飛び掛かりたい衝動を懸命に抑え込んでいた《傍観者》は疲労困憊の極致に達しようとしていた。
「もうだめだ~」
逃げる様にネズミータウンを後にした《傍観者》は彼の地の番人の処へ寄ってから自分の寝床へ戻る事にした。
「アメくれよ~」
のたのたと《傍観者》がアメを渡すと彼の地の番人は、
「何か疲れているみたいぞよ、よし、これをやるぞよ」
と言って、またまた小さな椅子を取り出した。
「また椅子なの?」
「疲れているときは椅子に座って休むと良いぞよ」
「でも家に沢山あるよ」
「ちりも積もれば山となるぞよ」
「そんなに要らないし・・・」
《傍観者》の最後の言葉を聞き流し、彼の地の番人は森の奥へふわふわと帰って行ってしまった。
くたくたになって寝床へ戻って来た《傍観者》は周り中椅子だらけの状態を見回し、一つ溜息を付いた。
小さな体を丸めた《傍観者》の今夜の夢は、ぐるりと辺り一面をネズミに取り囲まれており、何回前脚を伸ばしても捕まえられない、というものだった。
結局一匹も捕まえられないまま、《傍観者》の意識は混沌の世界へと旅立って行った。
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