2011年6月8日水曜日

「渋の谷への扉」

第12章 いつもと違う日常 (前)

 麗らかな朝の陽光が降り注ぐその日は、《知識師》達が自分の椅子を直した時点までは見慣れた風景だったが、その後がいつもとは違っていた。
 先日、部長が発した言葉が各々の頭蓋の中に飛来する。

「来週、皆さんにプレゼンの発表をして貰います」
 行き成り飛び出した部長の発言に《知識師》が問い返す。
「プレゼンですか?」
「そうです、それぞれ有る仮定の部署の一員になった心算で行って貰います」
 眼を生き生きと輝かせながら《知識師》が続ける。
「有る部署とは、何処ですか?」
「営業部、広報部、人事部です。《いたずら師》と《知識師》はパワフルポイントの資格を持っているんでしたよね」
 部長は二人の顔を見ながら少しの間考え込むと、こう続けた。
「《いたずら師》は営業部として、《知識師》と《装飾師》は広報部として事に当たる事にしましょう」
 プレゼン作業が苦手な《装飾師》を慮ってか、《知識師》と組ませた部長は、それから《傍観者》に眼をやると戸惑いがちに聞いて来た。
「《傍観者》はパワフルポイントの資格を持っていましたっけ?」
 《傍観者》はどぎまぎしながら、小さな声で答えた。
「持っています、もぐりですけど・・・」
「ん?何です、後半良く聞こえなかったですけど、持っているのなら《傍観者》には人事部として取り掛かって貰います」

 そう言う訳で皆、朝から各自プレゼンの下準備に取り掛かっているのである。
「営業部って、営業利益を増やす事が第一目標ですよね」
 珍しく遣る気を表出させた《いたずら師》が《知識師》に問い掛けた。
「そうじゃないかな、広報部は事業内容や活動状況を広く世間に知らしめる事だと思うし、人事部は優秀な人材を確保する事がその意義だと思うよ」
 そう答えた《知識師》は、何やら古めかしいパソコンを足元のバッグの中から取り出すと、
「今のパソコンと互換性が有るか如何か・・・」
と言いながら、秘密めいたソフトを起ち上げた。





「随分昔のパソコンみたいですね、このタイプは記録の中でしか見た事が無いですよ」
 眼を丸くした《装飾師》が驚きを露わにして声を張り上げた。
「実は曾爺さんの物です。こっそり借りて来ちゃいました」
「そんなことして怒られないですか?」
 心配そうな顔付きになった《装飾師》が《知識師》にそう尋ねた。
「んー、ロンドンマラソンに出場する為に渡英しているから大丈夫ですよ」
「曾爺さんがですか?元気過ぎますね」
 《知識師》と《装飾師》のそんな会話を聞きながら《いたずら師》は黙々と営業部のプレゼンの為の資料集めに励んでいた。
 さて、《傍観者》であるが見た目は普段通り、ただ皆を傍観している様に見えたかもしれないが、頭の中では人事部としての最適な謳い文句をあれこれ捻出していたのだった。
 《傍観者》だって遣る時は遣るのである、外見からじゃ判らないけどね。

 お昼御飯を食べた後も、来るプレゼンの発表に向けて皆作業に勤しんでいた。
 《いたずら師》は慣れた手付きでプレゼンで使用するスライドを次々と作成して行った。
 時々アメンボパグを起動させて忙しそうに通常業務もこなしている《いたずら師》の姿勢は、見る物に感動さえ与える程で有ったであろう。
 古いパソコンに向き合っている《知識師》は、描画ソフトで曲線状の物を描いている。
 関連する資料集めに四苦八苦しているのは《装飾師》である。
 《傍観者》は考えている振りをしながら、のんびりとうたた寝をしていた。

 渋の谷の街に緩やかに黄昏が忍び寄って来て今日の業務が終了となった。
 《いたずら師》はそそくさと帰って行き、《装飾師》はお疲れ様です、と言いながら次の仕事場へ向かう為に会社を後にした。
 凝り性の《知識師》は自分の創作物にとことん手を加えるべく、《傍観者》は単に午後さぼり過ぎた為に居残りをする事にした。





 人工の月型衛星が渋の谷を覆うドームの局面を独り占めし始めたのを機に、《知識師》と《傍観者》は帰る事にした。
 これ以上遅い時間になるとビルの全ての出入り口が自動的に閉鎖してしまうからである。
 地上の歩道に降り立った《知識師》は、
「お疲れ様です」
と《傍観者》に言い、曾爺さんのパソコンが収納された重そうなバッグを掲げると、ふらふらした足取りで立ち去って行った。
 その後ろ姿を束の間見守っていた《傍観者》は、自分に反省を促しながらヒゲを付け替えた。
 何を反省していたかって?
 居残りの最中も殆ど寝ていた事である。
 先程の文を訂正しよう。
 《傍観者》は遣る時は遣る、しかし遣っているかと思うとあまり遣っていない。
 そんな如何でも良い情報が齎されている間に《傍観者》の黒い姿は闇の中に溶け込むように消えていた。
 

2011年6月5日日曜日

「傍観者の小さな冒険 彼の地にて」

第Ⅺ章 知識師の家にいたのは・・・

 《傍観者》が眼を覚ますと、辺りはいつもの様に真夜中だった。
 勢い良く小さな箱から飛び出した《傍観者》は、並べられた椅子を数えながら、
(今日も時間旅行をしようかな)
と寝起きの頭で考え込み始めた。
 細波の様に遠く近く聞こえる虫の声を背にして一人思索していた《傍観者》は、遥か天空に《知識師》の豆粒程の姿態を見咎めた。
 見る見る内に高度を下げた《知識師》は茶色い羽をパタパタ羽ばたかせながら《傍観者》の眼の前に着地した。
「お目覚めのモーニングコーヒーを持って来たよ」
「今、真夜中だよね」
「・・・こほん、言ってみたかっただけだよ」
 少し赤面しながら《知識師》はそう言うと、タイムマシンをちらっと眺めながら会話を続けた。
「時間旅行も良いけど、《傍観者》はこの時代で行ってない処がまだまだ沢山有るんだよね」
「うん、有るよ」
「じゃあ、先にそっちの方へ出掛けた方が良いかもね」
「そっか?そうしようかな」
 流石、《知識師》。《傍観者》にとっての良い指針である。
 納得した《傍観者》は深く頷いた。

「ところで暇だったらうちへ来なよ」
「良いよ」
 ふわっと体を浮かせた《知識師》は、
「見せたい物が有るんだ」
 と言うが早いか、その身を空高く舞い上げ始めたので、《傍観者》は慌てて後を追う事にした。

 立派な佇まいの、同じく立派なドアを開けて中へ入った《傍観者》を茶色い生き物が出迎えた。
「これは・・・タヌキ!」
「そう、三つ子なんだ❤❤❤」
 《傍観者》の発した驚きの声に嬉しそうに《知識師》が答えた。





 腕白そうなタヌキの子供達が所狭しと部屋中を駆け回りだした。
「名前は、たぬりん」
「どれがたぬりん?」
「全部たぬりんだよ」
「へえー、そうなんだ」
 同じ名前だと混乱しないかなと思い、《傍観者》がそう尋ねると、
「大丈夫だよ、いつも一緒に居るから」
と《知識師》は少々的外れな言葉を返し、たぬりんと呼ぶと子だぬき達が彼の傍にやって来てビー玉みたいな瞳で顔を見上げた。
「この間、カジノの大会で二位になって、その賞品として貰ったんだ。この王冠と一緒にね」
 《傍観者》が気付くと《知識師》の頭の上にきらきらと輝く王冠が乗っかっていた。
「二位なんて凄いな、《知識師》は!」
 羨望の眼差しで王冠を凝視しながら《傍観者》が発した言葉を聞いて、《知識師》は嬉しそうに茶色い羽をぱたぱたさせた。

「男の子が二匹で、後一匹は女の子なんだ」
「見分けが付くの?」
 そっくりな姿形の三匹を見ながら《傍観者》が尋ねると、
「勿論だよ、少しづつ顔付きが違うし、一番優しそうなのが女の子だよ」
 だが《傍観者》には三面鏡に映したみたいに寸分違わず同じ顔に見えるたぬき達であった。

「でも、たぬきって何を食べるの?」
「何でも食べるよ、肉でも魚でも木の実や穀物も食べるし」
「雑食なんだね」
「そうだよ、それから公園や森や、人の家にも連れて行けるんだ」
「人の家にも!」
「《傍観者》の家にも今度連れて行くからね」
 それを聞いてすっかりご機嫌な様子の《傍観者》は、たぬりん達と追っかけっこを始めた。
 喜び勇んで走り回る《傍観者》と子だぬき達を思慮深い眼差しで見守りながら、《知識師》は頭上の王冠を手に取ると飾り台の上に大事そうにそっと置いた。

 

           


 腕白たぬりん達と遊び疲れた《傍観者》は、《知識師》の家を辞した後、彼の地の番人の処へと向かった。
「アメくれよ~」
「はい、今日も椅子でしょ」
「そんなに椅子が欲しいなら、椅子にするぞよ」
 彼の地の番人が取り出したのは前のより少し大きいけれど、やはり椅子だった。
「ねえ、《知識師》がたぬきを飼い始めたの知ってる?」
「わしはこの世界が誕生した時から彼の地の番人ぞよ、知らない事は無いぞよ」
 胸を張って答える番人に《傍観者》は次の質問をした。
「じゃあ、どれが男の子でどれが女の子か判る?」
「急におなかが空いて来たぞよ~」
 眼を逸らした彼の地の番人は慌てふためいたかの様に急いで森の奥へと帰って行ってしまった。

 小さな橋の下へと戻って来た《傍観者》は小さな箱の中で丸くなると、
(やっぱりペット欲しいな・・・)
と未だ見ぬペットに思いを馳せていたが、近日中にそれが現実の事になるとは思いも寄らない事であった。