2011年7月20日水曜日

「渋の谷への扉」

第17章 ひねもす

 本日は会社がお休みなので、《傍観者》は朝寝坊をしている模様である。
 丁度良いので今回は《傍観者》の休日を追って見る事にしよう。

 彼の地では《傍観者》は小川の上に掛かる小さな橋の下に住んでいるが、現の此の地でも橋の下を寝所として使用していた。
 此の地の橋は公園の中の遊歩道の上に掛かっており、この公園が何処に有るかと言うと、渋の谷の街から遠く離れた南の街に在る。
 渋の谷の街と同じ様に半球型のドームで覆われた南の街は、主に住宅エリアとして使用され幾分のんびりとした空気を感じ取る事が出来るかも知れない。
 何が言いたいのかと言うと、《傍観者》は橋の下が好きだなぁ、と彼の性向が地の文によって吐露されたに過ぎない。





 公園の橋の下の灌木の茂みから、ーーーっ!と言う伸びをする声が聞こえた。
 如何やら《傍観者》が起き出して来た様である。
 茂みの奥に打ち捨てられた様に置かれた木箱から這い出して来た《傍観者》は、左右を一瞥するとゆっくりと遊歩道に出て来た。
 そして彼が向かった先には中位の池がなみなみと水を湛えていた。
 彫像の様に水辺に佇んだ《傍観者》は微動だにしなくなり、静寂だけが水面を漂っていた。
 時が止まったかの様に風景に溶け込んだ《傍観者》であったが、その刹那、右前脚が一閃したかと思うと小さな魚を抑え込んでいた。
 瞬く間に狩った魚を平らげた《傍観者》は池の水で喉の渇きを潤し、何処から取り出したのか仕事用のヒゲとプライベート用のヒゲを舌を使って丹念に掃除し始めた。
 勿論その間は、予備のプライベート用のヒゲを装填していたので、ヒゲの無い《傍観者》の顔を想像しても無駄である。
 入念に手入れをされた正規のプライベート用のヒゲを予備の物と付け替えると、今度は《傍観者》は舌と前脚を使って体中を綺麗に整えていった。
 ・・・ぺろぺろ・・・しゅっしゅ・・・ぺろぺろ・・・しゅっ
 《傍観者》のビロードの様な黒い光沢は、こうして日々保たれて居たのであった。

「これで良しっと」
 水面に映る自分の毛並みに満足したのか、《傍観者》は水際から少し離れると運動の為にヨガを始めた。
 《傍観者》はネコのポーズが大の得意である、と言っても何故だか此れしか出来ないのであるが・・・。
 十分に体が解れた《傍観者》は次にシャドーボクシングを始めた。
 目にも止まらない早さで必殺ネコパンチを繰り出す今の《傍観者》なら、大昔に行われたと言うハリウッドスターの伝説のネコパンチにも対抗し得るであろう。
 黒い顔に薄らと汗を浮かばせた《傍観者》は池の水を二口程飲むと、公園内の散策を開始した。

 たどたどしい足取りの幼子を従えた家族連れや、のんびりと歩む人々の横を澄ました顔付きの《傍観者》が影の様に通り過ぎて行く。
 前から顔見知りの一匹のイヌが飼い主に連れられて歩いて来た。
「よう、《傍観者》、相変わらず黒いな」
「そっちだって真黒じゃん」
 自分の黒い体に目を遣った顔見知りのイヌは、そりゃそうだ、と言い尻尾を一振りすると飼い主の後ろ姿を追い掛けて行ってしまった。
 《傍観者》はイヌ達と非常に仲良しで有る。
 その後もあちこちで散歩に連れられた様々な犬と挨拶を含んだ会話を交わした《傍観者》は、一本の木の下へ来ると身軽に駆け登った。
 横に枝を伸ばしたいつもの場所に落ち着くと、《傍観者》は体の力を抜き寛いだ様子で蹲った。
 《傍観者》が傍観体制に入ったのである。
 一見、単に寛いで居る様に見得るけれど、これは《傍観者》が傍観する時のポーズである。
 自然体で対峙すれば物事の本質が浮き彫りになると言う《傍観者》独自の持論を体現した姿勢である。
 こうして公園を一望出来る木の上から傍観を・・・おや?
 枝の下に四肢と長いしっぽをだらりとぶら下げ、長々と体を伸ばして寝そべっている様を見ると、如何やら単に昼寝をして居ただけの様である。
 まあ、此処はとやかく言わず、そっとして置いてあげ様ではないか・・・。



                
ちょっと寝過ぎちゃった


 夕闇が公園を包み込み、見受けられる人の姿も疎らになった頃、漸く《傍観者》は木の上から降りて来た。
 闇が辺りを支配し始めると《傍観者》の時間が幕を開ける。
 金色の両の眼を爛々と輝かせながら夜陰をその身に纏った《傍観者》は、足音を忍ばせて歩み出した。
 長い尻尾をピンと立て泰然と歩く《傍観者》の背中からは、野生の雲気が滲み出ていた。
 一瞬の後、《傍観者》の小さな姿は闇に呑み込まれ、静寂だけが取り残された。

 《傍観者》が何処へ向かったのかは、誰も知らない・・・。

2011年7月17日日曜日

「続・傍観者の小さな冒険 彼の地にて」

第四章 ウニィへ行こう

 寝ぼけ眼で起き出した《傍観者》は、
「イチゴ・・・」
と呟くと、頭を一振りして椅子から飛び降りた。
 小さな箱からもそもそと這い出して来たピノコを従え、猫の額程の庭(ん?どの猫だろう)に近付いて行った《傍観者》は、小さな赤い実に気付き破顔した。
「ちゃんと成ってる❤」
「ニィ❤」
 ピノコも嬉しそうに追随した。

 薄ぼんやりとした月光に照らされながらイチゴを収穫した《傍観者》は、早速それをガーデニング箱の中に入れて蓋をした。
 一呼吸分の時を数え蓋を開けて見ると、幾ばくかのライフドルと新たにイチゴの種が垣間見えた。
 イチゴの種を取り出し畑に播いた《傍観者》は、ピノコに声を掛けた。
「ピノコ、水を・・・」
 だが、《傍観者》が言い終わらない内に如雨露を手にしたピノコは小川へと向かって居た。
 気心の知れた《傍観者》とピノコとの、阿吽の呼吸の所作である。
 猫なのに阿吽の呼吸とは、これ如何に。

「さて、今日は何処に行こうかな?」
 一段落付いてピノコに聞かせるとも無く発した《傍観者》の言葉に、か細い声が返って来た。
「ニィ」
「ん?何、ピノコ」
「ウニィ」
「海?海へ行きたいのか」
 円らな瞳のピノコに見詰められながら《傍観者》は、
「どうせなら、沖縄まで行こう」
と声を張り上げた。

 沖縄と言っても移動は簡単である。
 秒針が六度程傾きを増した間に《傍観者》とピノコは沖縄に着いて居た。





「うわー、日差しが強いな」
 じりじりと肌を射す様な日差しに《傍観者》が堪らず声を上げた。
 さらさらとした白色の砂浜は裸足の《傍観者》とピノコには熱過ぎて、一ヶ所には立ち止まって居られ無い程であった。
 何か気になる事でも有るのか、後ろを振り返って不思議そうな顔をして居るピノコにに気付いた《傍観者》は、その視線を辿り同じ様に不思議そうな顔付きになった。
「足跡が消えて行く・・・」
 二匹が見詰める間にも古い足跡から段々と消えて行き、砂浜は元の姿を取り戻しつつあった。
「面白いかも!」
 わくわくして来た《傍観者》と、うきうきした様子のピノコは、好き勝手に歩き回ったり足跡で模様を描いたりして、その消えて行く様を時間を忘れて楽しんだ。


 散々はしゃぎ合った《傍観者》とピノコは涼を求めて海岸縁に見える樹影に近付いて行った。
 火照った体を木陰で冷ましながら《傍観者》が海で泳ぐ人々を見ながら、こう言った。
「海へ入るのには水着が無いと駄目みたいだね」
 負け惜しみを含んだ言葉を続けた《傍観者》に、ピノコの慰めを込めた鳴き声が被さった。
「水の中は好きじゃないから、別に良いもんねー」
「ニィ・・・」
 強がって見せたものの、やや残念そうに海面を見続けて居た《傍観者》の視界に、水面から気持ち良さそうに飛び上がって来た生き物が飛び込んで来た。
「あっ!イルカ・・・」
 






 気が付けば、あちらこちらでイルカの空中ショーが始まっており、辺りは歓声と叫声に包まれた。
 ピノコが前脚をむずむずさせているのを見た《傍観者》は、
「あれは食べ物じゃ無いからね、それに遠いから小さく見えるけど本当はもっと大きいんだから」
と道理を諭してあげた。
 十分程続いたショーも終わり、イルカ達が去ったのを潮に《傍観者》とピノコは腰を上げ、お土産物屋を覗いて見る事にした。
 店先で麦わら帽子を眺めている《傍観者》の横では、ピノコがシーサーの置物とにらめっこに勤しんでいた。
「お金が無いから、見るだけ、見るだけだよ」
 自分に言い聞かせているのか、一人呟いていた《傍観者》を真似る様にピノコが小さく、ニィダケと鳴いた。

「そうそう、彼の地の番人の処へ寄って行かなくちゃ」
 沖縄を後にした《傍観者》は家に帰る前に番人の住処が有る森の中へと入って行った。
「アメくれよ~」
 ふわふわと漂いながら現れた彼の地の番人に、アメを渡しながら《傍観者》は今日の報告をした。
「さっきまで沖縄に行ってたんだよ」
「随分日に焼けたぞよ、真黒ぞよ~」
「元から黒いんだけど・・・」
 決まり悪そうに視線を逸らした番人は、
「こっちは真っ白ぞよ、SPF50+の日焼け止めって感じぞよ」
と、ピノコに声を掛け、その場に小さな椅子を取り出して置くと一目散に森の奥へと引っ込んでしまった。

 小さな橋の下へと帰って来た《傍観者》は新たに増えた椅子を端っこに並べ、ピノコはイチゴに水を上げる準備に取り掛かった。
 戻って来たピノコは《傍観者》の横に並び、二匹は揃ってヒゲの先に着いた砂を落とし始めた。
 やがて小さな箱の中で丸くなったピノコを視認した《傍観者》は、自分も小さな椅子に上がるとその身を休める事にした。
 日に焼けて黒ネコに成ってしまったピノコが夢に現れた《傍観者》は、その寝顔に驚愕の表情を張り付けて居た。
 反してピノコは、イルカに乗って大海原の上空を舞っている夢でも見て居るのか、幸せそうに安らかな寝息を立てて居た。