2011年6月21日火曜日

「渋の谷への扉」

第13章 知識師に聞け!

「お早うございます」
「おはよーすっ」
 朝の挨拶が最上階のフロアに響き渡る。
 最初に椅子の高さを戻し終えた《装飾師》が済まなそうに《知識師》に言った。
「先日は次の仕事場での仕事が押し迫っていて・・・」
 居残りをしてスライドの訂正をした《知識師》を手伝えなかった事への謝罪である。
 椅子の高さを調節しながら《知識師》がにこやかに答えた。
「全然気にしてませんよ、自分で遣りたかっただけですから」
 夕方からも忙しい《装飾師》の状況を良く熟知している《知識師》の、相手の負担を少しでも軽減したいと言う心遣いがこう言う場面に垣間見える。
 そんな遣り取りを聞きながら自分の椅子を直していた《傍観者》はこんな事を考えていた。
(もし椅子の高さを直さなかったら《いたずら師》は次はそれを一番低くするのかな?)


                       ??    ??


 発表会を終えたばかりでのんびりとした空気が流れる中、《いたずら師》が小首を傾げながら発言した。
「右側のエレベーターって変じゃないですか?」
「変?ああ、そう言えばそうですね」
 相槌を打った《装飾師》に《いたずら師》が続けた。
「今朝もブザーが鳴ったし」
 向かって右側のエレベーターは定員の2/3が乗り込むと重量オーバーのブザーが鳴り稼働しなく成ってしまう。勿論、他のエレベーターはそんな事は無い。
「壊れているんですかね」
 そう言いながら《装飾師》が《知識師》の顔を見た。
 釣られて《いたずら師》も《知識師》の顔を見た。
 《傍観者》もそれに倣った時、皆の視線が自分に集中した事に気付いた《知識師》は、
「ええと、それは・・・」
と言い淀み、遠くを見詰める目付きになった。
 『疑問に思ったら《知識師》に聞け!』をスローガンにしている一同は、期待を込めて解答が提示されるのを待った。
「確か、改訂前の裏社訓の捕捉にそれに関する記述が有った様な・・・」
 幾ら《知識師》でも森羅万象全ての物事に精通している訳では無い、がしかし、大抵の質問に答える事が出来るのが《知識師》の知識師たる所以である。

「思い出しましたよ!」
 膨大な知識の抽斗から求める物を探し出した《知識師》が喜びに満ちた声を上げた。
「何でも昔、無理やり定員以上乗ろうとしてエレベーターが壊れた事が有ったそうです」
「昔ってどの位前?」
 《いたずら師》が呈した疑問点に《知識師》が自信無さそうに答えた。
「んー?百年位前だと思う。今のとは違って前時代的なタイプのエレベーターだったろうし」
 黙って聞いていた《傍観者》が口を挿む。
「古いタイプってやたらとスピードが遅くて、ボタンで操作して居たんだっけ?」
「そうです、故障も多々発生して居たみたいですし。今のエレベーターには複数の修復プログラムが組み込まれて居るのでそんな事は無いですけどね」
 皆の注目を集めながら《知識師》は話を続けた。
「当時の事故を戒めにして同じ過ちを繰り返さない様に、右側の物だけ定員数に満たない状態でもブザーが鳴る様に設定して有るそうです」
 誰からともなく、おーっと言う声が上がり、その歓声の中心に居た《知識師》は面映ゆそうに両の眼を瞬かせた。

 午前中の業務をこなし、四代目大臣の弁当を買って帰って来た一同は机の上に置かれたお菓子に眼を止めた。





「またお菓子が置いて有りますね」
「紫のバラの人・・・」
 《装飾師》の発した声に《傍観者》の声が被さる。
「この間もそう言ってましたけど、誰です?」
「紫のバラの人とは・・・」
 訥々とした調子で《傍観者》の口から言葉が紡ぎ出されて行った。
「有る少女の事を陰ながら見守り、時には援助の手を差し伸べてくれる人だよ」
「ほー」
 《知識師》が奇妙な合いの手を入れた。
「それでその正体は?」
 せっかちに投げ掛けられた《装飾師》の問いに《傍観者》が厳かに答えた。
「その正体は・・・誰も知らない」
 拍子抜けした感の有る《装飾師》と《知識師》を横にして、《いたずら師》が変な節を付けて歌い出した。
「む~らさきの~バラの人~♪」

 渋の谷の街を弱まった人工太陽の日差しが柔らかく包み込み、本日の業務が恙無く終了となった。
 地上階へと降り、ビルの前の歩道で向き合い別れの挨拶を交わし合うと、まず《装飾師》が次の仕事場へと向かった。
 《いたずら師》と《知識師》も自分の家へと歩み去り、《傍観者》も素早くヒゲを付け替えると歩き始めた。
 午前中に《いたずら師》が口にした紫のバラの人のフレーズを口遊んでみた《傍観者》は、急に恥ずかしくなり殊更真面目な表情を取り繕うと道を行き交う人々の足の間へと消えて行った。

2011年6月19日日曜日

「傍観者の小さな冒険 彼の地にて」

第Ⅻ章 ある雨の日に・・・ (後)

 森に到着した《傍観者》は、彼の地の番人が現れないので、おかしいなと思いながら更に奥へと歩を進めてみた。
 雨だと言うのに人々が寛いでいる公園を通り過ぎると、辺りは段々人気が無くなり裏寂しい風景へと変容していった。
「・・・・・・」
 言葉を失ったかの様に黙りこくった《傍観者》がそろりそろりと前進して行くと、やがて前方に彼の地の番人の姿がぼんやりと見えて来た。
「こんな森の奥に居たんだ」
 《傍観者》が声を掛けると彼の地の番人は、
「アメは好きだけど雨は苦手ぞよ、しかし此処まで来るとは流石、黒い生き物ぞよ」
と返した。
「相談に乗って欲しいんだけど・・・」
と言う《傍観者》の問いに彼の地の番人は常套句を掲げた。
「アメくれよ~」
 彼の地の番人にアメを渡した《傍観者》は、相談事の前に周囲を見回すとこんな質問をした。
「此処が番人さんの住処なんだね」
 小さな椅子を取り出しながら彼の地の番人は、鹿爪らしい口調で囁いた。
「他の人には秘密ぞよ」
「番人さんて・・・お化けだよね?」
「お化け?全然似ても似付かないぞよ」





「・・・そうそう、相談事なんだけど」
「わしの知らない事はないぞよ」
「ネコが・・・」
「眼の前に居るぞよ」
「?・・・此処には居ないよ」
 不思議そうな顔付きの《傍観者》と不可思議な表情を浮かべた番人が互いに見詰め合った。

「うちに子ネコが迷い込んで来たんだけど、如何したら良いかな?」
「飼ってやれば良いぞよ」
「ちゃんと飼えるかな?」
 自信無さげな《傍観者》がそう問い返すと、彼の地の番人は帽子の鍔から雨の滴を滴らせながら提言した。
「ミルクを定期的に与えて、良く遊んであげれば大丈夫ぞよ」
「そっか・・・」
 まだ迷っていた《傍観者》の背中を番人の次の言葉が後押しした。
「それに段々芸も覚えて行くぞよ」
「そっか❤じゃあ飼う事にするよ。ありがとう、番人のおじさん」
「失礼ぞよ、わしはまだお兄さんぞよ」
 見た目からは全く年齢が推測できない彼の地の番人は、やんわりと苦言を呈した。
「へえー、そうなんだ。分かったよ、おじさんみたいなお兄さん」
「それはもっと失礼ぞよ~ぞよ~ぞよ~」
 彼の地の番人の言葉尻が空しく木霊を繰り返した時には《傍観者》の姿は消えていた。

 小さな橋の下へ戻って来た《傍観者》の気配に気付いたのか、小さな箱の中で眠っていた子ネコが眼を開けた。
 箱の外へ出て来た子ネコは《傍観者》を見上げて消え入りそうな鳴き声を上げた。
「ニィ・・・」
「ただいま」
 ミルクに満たされた皿を用意した《傍観者》は、それを子ネコの前に置いてやり、そっと告げた。
「此処にずっと居ると良いよ、一緒に住もうよ」
「ニィ・・・」
 先程と同じ鳴き声を発した子ネコであったが、《傍観者》には嬉しさが滲み出たそれに聞こえた。





 美味しそうにミルクを舐め始めた子ネコを前にして《傍観者》は一人呟いた。
「名前を付けてあげなくちゃ」
 束の間逡巡した《傍観者》の頭の中に、ある名前が浮かんだ。
「女の子みたいだから、・・・ピノコしよう!」

 満腹になったピノコは《傍観者》の長い尻尾に戯れ付き始めた。
 やがて遊び疲れたピノコを小さな箱の中に寝かし付けた《傍観者》は、寝心地が良さそうな椅子を選ぶとその上に丸くなり今日有った出来事を思い返していた。
 そして、すやすやと眠るピノコの顔を一瞥すると、安心したのか深い眠りへと落ちて行った。