2011年6月14日火曜日

「渋の谷への扉」

第12章 いつもと違う日常 (後)

 本日はプレゼン発表の日である。
 灰色に淀んだ渦巻く様な雲が辺り一面に立ち込め、強風が道行く人々の足並みを乱している、という事も無く半球型のドームに覆われた渋の谷の街はいつもと変わりない穏やかな朝を迎えた。
 《いたずら師》が恒例となったいたずら、つまり朝一番の仕事を滞りなく済まし、《知識師》達が自分の椅子の高さを調整し終えたとこ迄は見慣れた日常の一コマであった。
 
 ざわついていた部屋に部長が入って来ると、辺りは潮が引く様に静けさを取り戻した。
「お早う御座います。では早速プレゼンの発表に移りたいと思います」
 部長の顔に皆の視線が集まる。
「最初は広報部、次が人事部、最後に営業部の発表にします。では、広報部お願いします」
「はい、分かりました」
 《知識師》が答え、《装飾師》と一緒にホワイトスクリーンの横に並んだ。
 幾分緊張した面持ちの《装飾師》が口火を切った。
「広報部ではクラゲのゆらりんをキャラクターに冠し、我が社の事を広く世間にアピールしたいと思います」



ゆらりん


 スクリーンに映し出されたクラゲのキャラクターは、《知識師》が曾爺さんのパソコンで作成した物に相違無いであろう。
 Web新聞の体を成したスライドを表示させ、その説明を終えた《装飾師》に代わり、今度は《知識師》がその役を担う。
「ゆらりんの認知度を高める為にクラゲ饅頭を販売します。小袋に分けた物と・・・」
 人前で話す事を得意とする《知識師》は、アドリブも交えながら数時間話し続け広報部のプレゼンが終了した。
「後で纏めて批評しますので人事部の発表に移って下さい」
 部長の言を受けて《傍観者》が席を離れ衆目の前にその身を晒した。
「優秀な人材を確保するために、人事部としましては・・・」
 《傍観者》が無い知恵を絞って考えた文言を並べていると、誰かが小さく、あっと声を上げた。
 全身全霊を込めて発表に集中していた《傍観者》は気が付かなかったが、スライドの端に小さな黒い生き物が映り込んで居たのである。
 ちょこまかと現れては消える黒い生き物に皆は注意を殺がれ、《傍観者》の言葉は空しく中を彷徨い人事部のプレゼンが終了した。

 午前中の発表は此処までとしてお昼御飯の時間になった。
 発表を終えた《知識師》達は満腹感を漂わせ食後の時間を満喫していたが、《いたずら師》だけはアメンボパグを起動し通常業務を熟していたのは正に仕事の鬼としか言い様がない。

 食事休憩が済み営業部のプレゼン発表の為に《いたずら師》が腰を上げた。
「営業部では新薬を販売します。その名も『イキカエール』です」
 摩訶不思議な楽曲が流れる中、《いたずら師》が続けた。
「生き返りの為の成分を調合したこの薬に各界からも絶賛の声が上がります、何故なら・・・」
 思わせ振りにたっぷりと間を取った《いたずら師》は、部屋を見回し高らかに告げた。
「一本たったのツーコインで購入出来るからです!」
 そして《いたずら師》は自作の成分表や塩基配列の図を表示させ、更にそれを懇切丁寧に解説し営業部のプレゼンを終了した。

「では寸評から始めます、広報部は固有名詞の誤記が眼に着きました。最悪の場合、これだけで取引が御破算に成る事も有るので気を付けて下さい」
 《知識師》が、しまったと叫び、《装飾師》は小首を傾げた。
「営業部はその値段で利益を捻出する事が可能なのか、また一番の問題は現時点では生き返りの為の薬品が発明されていない事ですね」
 《いたずら師》の顔が凍り付いた。
「人事部は・・・内容は兎も角、変な物が映り込んで居る事に気が付かなかったのですか?」
 何も気付いていなかった《傍観者》は部長の言葉にきょとんとした顔付きで答えるだけであった。

「これから更に細かく指摘して行きます」
 そう言い放った部長はきらりと光らせた眼鏡越しに辺りを睥睨すると、次々と口上を垂れた。
 気温が急激に下がった部屋の中で、《知識師》達は首を縮こまらせて拝聴していた。
 皆、部長が自分達の事を思って厳しい言辞を述べている事が分かっていたので、そのの言葉を有難く頂戴した。

「・・・最後に、参考資料を挿入する時にはその出典先を記する様にして下さい」
 長かった部長という名の嵐が通り過ぎ、ほっと一安心した《知識師》達に裁定の声が投げ掛けられた。
「今回はプレゼンとは関係の無い変な物が映り込んでいた人事部に、罰としてこの部屋の大掃除を命じます」

 そこはかと無く倦怠感が漂い出し、高度を下げた人工の日差しが窓から垣間見られる様になり今日の業務が終了となった。 





「お疲れ様っす」
 過ぎ去った事はあまりくよくよ悩まない《いたずら師》が元気良く帰って行った。
「お疲れ様です」
 次の仕事場へと気持ちを切り替えた《装飾師》が忙しそうにその後に続いた。
 《知識師》は昼間部長に指摘された箇所を訂正すべく、既に居残りの態勢に入っていた。
 何処から掃除を始めるか考え込んでいた《傍観者》は、《いたずら師》の椅子に眼を止めるとそっと近付いて行った。
 何気無い顔をしてその椅子の高さを一番上まで上げた《傍観者》は、本格的に掃除に取り掛かる為に気を入れ直した。
 掃除に身が入り興が乗って来た《傍観者》は《知識師》の靴まで磨いてあげたが、パワフルポイントのスライドの訂正に没頭していた《知識師》はそれに気付いた様子も無かった。
 この日、ビルの最上階の窓辺には夜遅くまで明かりが灯っていた。

2011年6月12日日曜日

「傍観者の小さな冒険 彼の地にて」

第Ⅻ章 ある雨の日に・・・ (前)

 少し肌寒さを覚えながら小さな橋の下の小さな箱の中で目覚めた《傍観者》は、いつもと違う周辺の景色に気が付き茫然とした。
(雨が降っている・・・)
 曇天の闇夜から盛んにしとどに雨が降りそぼっている。
(彼の地でも雨が降る事が有るんだ・・・)
 初めて目にする異邦の地での雨模様に《傍観者》は時を忘れ、水煙に霞む草叢を、そして水量が増えた小さな川の水面を飽きる事無く眺め続けていた。
 ふと、何者かの気配を感じ取り振り返った《傍観者》は、橋桁の後ろに半身を隠す様に佇む小さな白い影を見咎めた。
「あっ!子ネコ・・・」
 あどけなさの残る顔付きに円らな瞳が印象的な小さな小さなネコが、《傍観者》の事をじっと見詰めていた。








 何故か狼狽してしまった《傍観者》は如何して良いか分からず、その子ネコを見詰め返していたが、やがて意を決して近付いて行った。
「何処から来たの?」
 《傍観者》が発した問いに白い子ネコは短く鳴くだけであった。
「ニィ・・・」
 雨に濡れたのか、子ネコの寒そうに震えている様子に気付いた《傍観者》は、
「そこに居ると濡れちゃうからこっちにおいでよ」
と言い、自分の寝床にしている小さな箱へと導いてあげた。
「今何か食べる物を買って来てあげるよ」
 そう言い残した《傍観者》は、大急ぎでネコカイ牧場へと向かった。
 
 ネコカイ牧場でアメと交換してネコ用のミルクを手に入れた《傍観者》は、小さな橋の下へ帰って来て小さな箱を覗き込み、子ネコの姿を確認すると安堵に胸を撫で下ろした。
「良かった、未だ居た!」
 《傍観者》がミルクの皿を差し出すと、子ネコは余程お腹が空いていたのか、貪り付く様にそれを飲み干した。
 お代わりしたミルクを今度はゆっくりとぴちゃぴちゃと舐め終えた子ネコは、安心したのか小さな箱の中で丸くなると寝息を立て始めた。
(さて、如何したものか・・・)
 自分だけで考えて居ても埒が明かないので、《傍観者》は《いたずら師》に意見を尋ねてみる事にした。

 《傍観者》が重厚なドアを開けて部屋の中に入ると、どたどたと走り回っていた《いたずら師》が振り向いてこう言った。
「俺様はこれから雨パーティーに出掛けるから忙しいのだ」
「子ネコが・・・」
 《傍観者》が言い切らない内に《いたずら師》が続けた。
「雨だからアメオス(アディオス)」
 掻き消す様に姿を消して行く《いたずら師》を見守っていた《傍観者》は、外に出ると雨空を見上げた。
 関心の無い出来事には全く興味を示さないと言う《いたずら師》の性質を熟知していた《傍観者》にとっては予想通りの展開だったので、その口元に思わず苦笑いが浮かんだ程であった。
(《知識師》にも尋ねてみよう)
と次の行き先に照準を定めた《傍観者》は雨の中へ飛び出した。






 外にまで騒がしさが伝わるその家の立派なドアを開けた《傍観者》を、所狭しと駆けずり回るたぬき達とてんてこ舞い状態の《知識師》が出迎えた。
 色々な物が散らかった部屋の状態と一時もじっとして居ない腕白たぬりん達を交互に眺めていた《傍観者》は、
(これは話を聞いてもらうどころじゃないな)
と思い、次は久しぶりに《装飾師》の家を訪ねる事にした。

 普通のドアを開けて《装飾師》の家に入った《傍観者》の眼には、椅子とテーブルだけが置かれた誰も居ない部屋が映った。
(やはり居ないか・・・)
 がらんとした人気の無い部屋で簡素な椅子に座り一休みした《傍観者》は、雫を垂らすピンと張ったヒゲを前脚で擦りながら窓枠に切り取られた雨に煙る夜空を眺めた。
 ドアを開けて雨脚の強さに辟易しながら《傍観者》は最後の行き先を決めた。
(ちょっととぼけているけど、彼の地の番人に聞いてみようっと)
 《傍観者》が彼の地の番人の所へ向かった後には閉め忘れたのか、開けっ放しの状態のドアが残っていたが、何処からか一陣の柔らかな風が吹いて来ると音も無くすーと閉まって行った。
 後には間断無く降り続く雨と、それに全ての音を呑み込まれた彼の地の風景だけが残っていた。