2011年4月26日火曜日

「渋の谷への扉」

第6章 まっくろなもの

 いつもの就業開始時間よりだいぶ早く会社へ着いた《装飾師》は、溜まっている仕事を片付けるために眼の前に企画書を展開し、早速それに執りかかった。
 邪魔する物が誰もいない部屋の中で黙々と企画書の作成に励んでいた《装飾師》の耳に、やがて朝の挨拶が飛び込んできた。
「お早うございます」
「おはよーすっ」
 《知識師》と《いたずら師》の姿を認め、朝の挨拶を返した《装飾師》は、いつの間にか隣りの席に座っていた《傍観者》に気付き、心臓が止まるかと思った。
 《傍観者》は何故か脚音がしないので、知らない間に傍にいる事が良くあるのだった。

「もう仕事してる!」
 驚きを含んだ調子の《いたずら師》の言葉に《知識師》が続けた。
「仕事忙しそうですね。ところで・・・取りましたよ、パワフルポイント」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 無言で見つめ合う《いたずら師》と《知識師》の視線の交差する辺りに激しい火花が散るのを見てしまった《傍観者》は、その勢いに呑み込まれ、知らず知らずの内に背中の毛を逆立てていた。




 《知識師》の背中に激しく羽ばたく茶色い羽を、そして《いたずら師》の背中にも同じ様に激しく羽ばたく黒い羽を《傍観者》は見たような気がしたが、きっとそれは気のせいだろう。

 ふと《傍観者》が気付くと二人はいつもの様子に戻っており、《装飾師》が《知識師》にこう問うた。
「たしか、《知識師》はこの後さらにアクセクかアウトルックルックこんにちはを取るって言ってましたよね?」
「そうなんです。その他にもITパスポートサイズかスーパー簿記も如何しようか考え中です」
「えっ、そんなに!」
「その以外にも、フェレット訓練士や、きき焼酎師の資格も気になってるし・・・」
 声も無い三人を尻目に情熱を込めた《知識師》の独白はまだまだ続くのであった・・・。

 お昼になり四代目大臣でお弁当を買って会社へ戻って来た四人は、電子レンジで二人分づつ温めることにした。
 この電子レンジは、おかず、おかず、ご飯、ご飯と四個積み上げると丁度入る大きさなのであった。
「そう言えば、これも曾爺さんから聞いたんですけど・・・」
 
 《知識師》の曾爺さんは確か百三十歳を超えている筈だが未だ健在で、日々精力的に歩き回っているらしい。
 なんでも今の《知識師》と同じ位の年に此処の会社で働いていた事があるらしく、たまに昔語りで色々な事を教えてくれるそうだ。

「百年位前この電子レンジに、まっくろくろすけが出たそうです」
「まっくろくろすけ?」
「それって、どんなの?」
 《知識師》が発した謎の名前に皆、首を捻った。
「曾爺さんは詳しく教えてくれなかったので、だけど当時は大変な騒ぎになるとこだったらしいですよ」
「黒いのかな?」
「たぶん黒いんじゃ・・・」
 三人の視線が自然と《傍観者》に集まった。
 慌てて首を振った《傍観者》は、
「きっと恐ろしそうな生き物じゃない?」
と言って鉾先をかわした。
「恐ろしいのかな?」
「そうかも」
「黒くて、しかも恐ろしいなんて!」
 四人はそれぞれ恐ろしそうな姿を想像して少し怖くなった。





 天空に浮かぶ太陽の人工の日差しが弱まり始め、業務は平穏無事に終了した。
 
 昼間の話が頭に残っているのか、四人はさっさと帰り支度を始めた。
「お疲れっす」
「お疲れ様です」
 挨拶を交わし合い三人と別れた《傍観者》は、ヒゲを付け替えながらこう思った。
(まっくろくろすけか、黒いなら会ってみたいな)
 他の三人はいざ知らず、《傍観者》だけは、まっくろくろすけに少なからず親近感を覚えていたのだった。

2011年4月24日日曜日

「傍観者の小さな冒険 彼の地にて」

第Ⅴ章 ネコカイ牧場

 月の光が煌々と差し込み、小さな川のせせらぎを乗せた風が通り抜けて行く橋の下の小さな箱の中で目覚めた《傍観者》は、
「―― っ!」
と、軽く伸びをして箱の外へ出てきた。
 傍に置かれた小さな椅子の存在を確認してほっと一安心した《傍観者》は、月明かりの下へ姿を現し橋の上に上がってみた。
 誰の処へ行こうかと逡巡した後、真ん丸い月を見上げ、すっと細長い虹彩になり、
(最初は、彼の地の番人の処へ行こう)
と結論を下した《傍観者》は、森へと向かうことにした。

 森の中へ入って行った《傍観者》にふわふわと近づいて来た彼の地の番人は、お決まりの挨拶を寄こした。
「アメくれよ~」
「はい、アメ二十個」
 美味しそうにアメを舐め始めた彼の地の番人は、小さな二人掛けのソファーを取り出し《傍観者》に渡すとこう言った。
「また、アメを持ってくるとよいぞよ」
「番人さん、ありがとう」
 森の奥にふわふわと漂いながら薄れて行く彼の地の番人にお礼を言うと、《傍観者》は一旦ソファーを置きに家へと戻ることにした。





 小さな椅子の横に二人掛けのソファーを並べ満足した《傍観者》は、以前に森の奥の公園で会ったトラの子を連れた女の子を思い出した。
(たしか、カジノでトラの子を買ったって言ってたっけ、それに北海道へ行けばネコやイヌもいるって・・・)
 《傍観者》は以前に行ったことがあるカジノを思い出し、まず、そこへ行ってみることにした。

 煌びやかなネオンが瞬き夜中だというのに活気に溢れたカジノへ入って行った《傍観者》は、係りの人にトラの子の事を聞いてみた。
「確かにここでトラの子を買えるけど、大金持ちでなきゃ無理だね」
 予想していた答えが返って来たので《傍観者》は気落ちすることなく北海道へ向かうことにした。

 初めての遠出に少しわくわくしながら北海道へ着いた《傍観者》は、なだらかな起伏一面に広がる草原の中の一本道の奥の奥にその牧場を見付けた。
 『ネコカイ牧場』という看板が掲げられ、周りを簡単な柵で覆われたやや小振りな牧場へ入って行った《傍観者》は、忽ち仲の様子に眼を奪われた。
 そこには走り回ったり、思い思いの格好で寝そべったりしているネコの子やイヌの子がたくさんいた。
「わぁ、ネコの子だらけー❤ イヌの子もー」
 白や黒のネコの子、はたまた茶色や白黒のブチのイヌの子の間に分け入った《傍観者》は、忽ち他のネコの子の姿と混ざり合い、見分けが付かなくなってしまった。
 自分とそっくりな黒ネコの子と追いかけっこをしたり、二匹の白ネコの子の間に入って「白黒白だー」と笑い合ったり、イヌの子とはにらめっこをした後じゃれ合ったりして、《傍観者》は至福の時をここで過ごした。

 遊び疲れて一息付いた《傍観者》の眼の前を緑色の生き物が通り過ぎた。
「あっ、カエル、ウリ坊もいる」
 《傍観者》はカエルとジャンプ競争をし、ウリ坊とは駆けっこをしまたまた至福の時を過ごすことが出来た。




 ふと気が付くと、牧場主らしいおじさんが《傍観者》に近づいて来た。
「まだペットを買うのが無理なら、ここへ遊びに来るといいよ、いつでも好きな時に来れば良いから」
 牧場主のネコカイさんは流石に牧場主だけあって、《傍観者》と他のネコの子との見分けが付くらしく、《傍観者》に向かってそう言うと、納屋の方向へ戻って行った。
「うん、そうするよ」
と返した《傍観者》の声はネコカイさんの耳朶に届いて消えた。

「そろそろ帰らなくちゃ」
 寂しげな表情の《傍観者》は、ネコの子やイヌの子、カエルやウリ坊とお別れをした。
 名残惜しげな様子で《傍観者》は、何度も後ろを振り返り、また振り返り、牧場の姿が点としか見えなくなった頃に家路に向かう脚を速めた。

 やっとの事で小さな橋の下の小さな箱へと帰って来た《傍観者》は、疲れたのか他へは行こうとせずに早々に眠りの態勢に入って行った。
(カエルも良かったけど、やっぱり黒ネコの子が可愛かったな・・・)
 小さな箱の中で小さな体に長い尻尾を巻き付けた《傍観者》は、そんな事を思いながらウトウトし始め、その頭の中には2匹の黒い子ネコがいつまでも、いつまでも駆け回っていた。